読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

旧間野谷駅跡

撮影の待ち時間に旧間野谷駅跡の調査をしました。間野谷駅は両毛線が電化前に国定〜岩宿間に存在した駅で、気動車が4両程度停車できる停留所(駅員無配置)でSL運転から気動車の導入のために設置されました。1日7〜8往復程度の停車(特定列車以外は通過)でした。昭和43年10月のダイヤ改正で電化となり駅が休止。他にも東伊勢崎や東前橋等小駅が10駅ありましたが電化により全て休止。休止の理由は地元の反対運動からで廃止に出来なかった(書類上復活が容易なため)と言われる。その後民営化でJRとなった際に正式廃止(三重駅のみは昭和59年に駅跡を道路用地とするため売却で廃止)となり現在に至るが、当時反対運動していた世代も次第に高齢化や自家用車普及が先行し結局復活にはならなかったようである。

間野谷駅の調査(書類や資料集めを含め)は自分が中学生の頃(30年以上前)からしていて現地の調査は高校卒業してからです。駅間が長く線路に平行した道路が無いため徒歩では困難なため自家用車やバイク、自転車でないと現地にたどり着かない。今日発見した遺構は以前から疑問に思っていた用地杭についてです。間野谷駅の線路南側は用地杭がこまめに有るのだが北側には用地杭がちょうど駅部分の間だけありません。直線で変化点が無くても20メートルおきに用地杭が有るのが普通です。前職で鉄道の保線関連に関わっていたので気付いただけで関わってなければ気付きませんでした。周辺をよく調べるとなんと線路北側の農道が駅跡と判明しました。用地杭が線路北側の農道から更に畑の際に用地杭を発見。農政や市町村杭と異なり鉄道用地の杭でした。駅が廃止された現在でも道路用地(舗装はされていない)として無償で貸与されていると言うことです。これだけ広ければ待合室等も設置されていた可能性が有ります。

広告を非表示にする